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ノンおばさん 24

 来世では何になりたいかって? いつ何時あちらに行くかもわからんから、その質問は真剣に考えるね。生まれ変わったら女の、伝統舞踊の踊り手になって、自分のものと呼べる、愛する家族と家が欲しい。今の人生とまったく正反対のものだったらいいのは確かだね。

 お祈りの言葉を唱えるとき、いつもこう言う、「過去の命において、どんな恐ろしいカルマをつくったのかわかりません、それでも神さま、これまで為した良いカルマを認め、お聞き入れ下さい。次なる人生は平穏に暮せるようお願いします」

 かつては、何が起きても、起きるべくして起きたのだと思った。世の中にとって何の価値もないでくの坊だという気がした。このむさ苦しい部屋で死に、何日も誰にも気付かれないのなら、それでもいい。誰にも面倒を見てもらえないことを、受け入れようとしなくてはならぬ。

 とは言っても、いまはだいぶ安心している。とくにゲイや性別越境者(トランスジェンダー)社会の人たちが、私を気遣ってくれるから。まるで年上の親戚――おばさん――のように私を引き受けていて、無縁仏として終わらないようにするから、と約束してくれる。

 まともな葬式も挙げてくれるとも言う。ほとんどの年寄りにとっては、それはとくだん素晴らしい約束ではないかもしれないけれど、私の場合は、実に心のあたたまるものだ。自分を忘れない人がいると、今ではわかっているよ。私の暮らし向きを良くしようと、人々が立ち寄ってくれるたびに、みんな少しずつ私の命を吹き返してくれるような気がする。

 つまるところ、私は身寄りのないおばさんだ。私を引き取る気はないかね?

(了)
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第九章 ノンおばさん――老熟の踊り子  23

 ここ数年の間、タイは我々のような人間に対して、寛容になってきている。状況は昔とは比べものにならないほど良くなった。テレビの芸能人で大っぴらに自分をゲイやカトゥーイだと公言する者も多いし、秘密にしている者はもっと大勢いる。

 歌謡、服飾、料理のコンテストに関しては、社会はゲイやカトゥーイのコメンテーターの評価を重んじるようだ。真に受け入れられるには、まだまだ長い道のりがあるが、我々の存在感は大きいのは確かだ。いまだに、タイ社会が人々の差異をありのまま受け入れて欲しいと思っている。

 カトゥーイは自分の表し方が人と違うかもしれないけれど、誰ともいさかいを起こさない。こんにちの子供たちには、どんな人間であれ、自分らしくある自由をあげたい。

 あらゆる差異について考えてみると、タイ社会はとくにカトゥーイを差別している可能性がある。あまり存在を許し過ぎると、我々の頭数が増えていくんじゃないかと、怖れているかのようだ。

 就業の機会に限っていうと、相当な数のレディボーイたちが、売春をするようになる。他に人生の選択肢が無いからだ。この国には全てのレディボーイの娼婦を入れるほどの藤かごは無い。

 そんな子たちは性別越境者(トランスジェンダー)の社会に悪評判をもたらす。客に薬を盛って盗みを働く者もいるからだ。売春地帯をうろついて、疑うことを知らない被害者から、スリを働く者もいる。

(つづく)

第九章 ノンおばさん――老熟の踊り子  22

 見ず知らずの人がこんなに優しくしてくれることを思うと、いつでも目頭が熱くなるよ。生きてきてどうしても解(げ)せないのは、自分の家族を頼れなかったのに、どうして縁もゆかりもない人たちが、これほど私を気づかってくれるのか、ということだ。

 仏教に答えが見つかる。前世や今生で積み上げたカルマは、善いものも悪いものも含め、それに応じて現在の人生を左右するんだ。故に、私の家族は過去生において、団結して口に出せないほど悪いカルマを犯したから、現世では上手くいかなかったのに違いない。

 仏教の坊さんがあるとき私の手相を観て、その信念を確固たるものにした。坊さんがいうには、私は必要なとき、あまりあるほど支援者に恵まれる運があるけれど、恋の相手や家族には恵まれないよう宿命づけられているとか。

 兄や妹たちは生きているのかどうかわからない。ずっと昔に連絡が途絶えてしまったし、誰も私に接触して来ようとする者はいなかった。いまだに、もし家族が私を受け入れていたら、そして家族として上手くやって行けてたら、自分の人生はどうなったのだろうと、思わずにはおれない。思うに、人生で成功するつもりなら、家族と良い関係を持つことは必須の条件だ。

 後にどうして人々が私を無駄な生まれ変わりだと呼んだのか、理解できた――男として生まれたのに、男のあるべき姿に予めつくられなかったから。男でも女でもない存在として生まれたのは、カルマの法則に寄ると信じている。

 何故だかはわからないけども、時どき女の近くにいるのが嫌なんだ。誤解しないで欲しい、女の友だちはたくさんいるけれど、女の身体の部分のことを思うと、心中穏やかではないんだ。昔小さな妹が近くに来るのさえ嫌がった。しっしと追い払って、私じゃなくてメェと寝るように言ったものだ。

 いつも若いカトゥーイには、こんな不細工な存在として生まれたのはカルマのせいだと説く。注意するのは、どんな男も気持ちの上では信頼できないこと、いつの日か旦那にできるという望みは持てないことだ。私にとっては、男たちを誘惑してまともな人生の道を踏み外させるのは、良くないことだ。そんなことをしても、私たちが悪いカルマを被るだけだろう。

(つづく)

第九章 ノンおばさん――老熟の踊り子 21

 華麗なレディボーイたちの、ソイ・パッポンで働く子らには、私に挨拶するのを欠かさない子もいる。「娘たち」と一緒になっていると、自分の性転換を考えた頃のことを思い出す。人生で二回、真剣に考えたことがあったけど、元手がなくて出来なかった。

 ある意味それで良かったんだろう、もしホルモン剤を飲んでたり、身体をいじったりしてれば、こんなに長く生きてなかったろうから。そんな処置は寿命を縮めるんだ。とはいえ顔を女らしくするために、一回500バーツで、コラーゲン注射は三回か四回ほどやった。

 ちゃんとした医者に、正しい方法でやってもらった。近頃は、いわゆるお医者様ってやつが町中を手術道具を持ってかけずり回ってるけど、注射器の中に何が入ってるか、誰もわかりゃしない。

 時々レディボーイのビューティー・コンテストに出場したり、賞の授与者になったりするのも好きだ。最近受賞したのは2007年9月2日の、ミス・X‐BOYS・ビューティー・タイランド・コンテストだ。X‐BOYSのコンテストは、若いゲイであるクン・ティンによって開かれている。

 クン・ティンはゲイと性別越境者(トランスジェンダー)の間で、チャリティーの仕事によってよく知られている。ゴーゴー・バーの経営者がチャリティー活動をやってるなんて、あまり誰も思わないだろう。店で働く男の子たちに、とても優しくて正直なことでも有名だ。仕事の始まる前に無料でご飯を食べさせてるんだ。クン・ティンにとって、コンテストは単なる娯楽以上のもので、ゲイとカトゥーイをつなげる意味がある。彼のバーは定期的にそういったコンテストを、いろんなテーマの下で開催している。

 ミス・X‐BOYS・コンテストは、木曜日の夜九時から始まって、金曜日の深夜二時に終わる。木曜日の宵の口、出場者は早めにソイ・トゥワイライトに来ると、それぞれ小道沿いの美容室に入り、髪型を整えてもらったり、プロによる化粧をしてもらったりする。

 私は毎月の帳尻合わせに苦労している身なのに、それでも何とかお金をつくり、特別なその日のために、プロの美容師を雇って協力してもらう。

 タイをテーマとしたコンテストでは、できるだけ優美に舞台へ歩み出る。薄緑色のタイ衣装に、ごく薄い織物のサバーイをたすき掛けにして合わせ、髪はこぎれいに整えて、金色のティアラと紫色の花々で飾る。

 手直しして二十才は若づくりするので、五十代の女性としても通じる。普段はゴーゴー・ボーイが踊る舞台は――肌にぴったりしたブリーフを着て、アナルセックスの真似をする――その夜限りは麗しき女王たちで占められる。出場者はスコータイからラタナコーシン時代までのタイ衣装を召していて、二つのグループに分けられる。「綺麗なの」と、「あまり綺麗じゃないの」とに。

 舞台からは、バーがすし詰めなのが見える。二人のが体のいい、喧(かまびす)しい女が司会をし、下品な冗談を飛ばして出場者一人一人を容赦なくこき下ろし、タイ人とファランの混ざった観客を、大笑いさせる。

 司会の女たちは、私には少しだけ優しくて、メェと呼び、皮肉たっぷりに、舞台に顔を見せるとは「根性」があると、誉めそやす。大胆にも私の顔がたるんでると言う奴は引っぱたけ、と言う。

 鼻にかけるわけじゃないけど、MCの紹介のとき、いちばん大きな拍手喝采と、出場者みんなのはやす声をもらうのは私だよ。その時ばかりは、自分が特別に思えて、みんなに受け入れてもらってる気がする。

 そういう若いゲイの子たちや、カトゥーイの子たちが、私をどう見てるのかははっきりしない。みんながみんな、私を尊敬に価するとは思ってないだろうよ。私がみにくい老婆であって、問題だらけの、虐待や貧困につきまとわれて生きてきたと、わかっている者もいるはずだ。


 その夜の終わりには、賞とトロフィーをいただいた。「永遠の美しさ」の賞をもらったけど驚くにはあたらない。公平に言えば、自分がいちばん年上なので、競争相手はいないもの。大得意でコンテストを後にするけれど、また老朽化した寝ぐらに帰るだけだ。情けない現実の人生に。

(つづく)

第九章 ノンおばさん――老熟の踊り子  20

 そのバーでは二十年間働き、ある日オーナーが近づいて来て言った。「おばさん、ちょっと今はサーヴィスしてくれなくていい、だけどなるべく早く呼ぶから」

 オーナーは、もう私のショーは時代遅れなのと、現場にそぐわないのと両方で、これ以上ショーに私を入れたくないのはわかってた。それでもいちばん気を使った言い方をしてくれたのさ。私たちタイ人は、ぶっきらぼうな言い方が失礼にあたりやしないかと怖れるから、お互いに傷付け合わないよう、相手の面子をつぶさないようにと、本当に言いたいことを避けるんだ。



 近頃、ラーマ四世通りのソイ・チンナカリンに住んでいる。建物の外見からは、私の住んでるところのむさ苦しさは、決してわからないだろう。私のちっぽけな部屋は、荒れ果てたビルの屋上にあって、貧乏の板についた住人たちとだまになって、一つのトイレを一緒に使っている。

 横になれる隙間はほんの少ししかない。ベッドも、洋服だんすも、マットレスさえない。お下がりの、その日によって調子の変わるテレビと、冷蔵庫はあるけれど、本当に気持ちの安らぐのは神棚だ。気分がとくべつ落ち込んだとき、神々に祈っている。風の無い夏の日、窓の一つしかない部屋は耐えられないほど暑くなる。

 数年前、私のみじめな人生は、コン・コン・コンというタイのテレビ番組に取り上げられた。私の暮らしはフィルムに収められ、それで有名になったわけさ。だからってスターの座をかけ上ったりするようなことは、何にも無かった。私はいまだにひど過ぎる境遇だし、毎日が戦いの連続だ。

 番組が放送されてからというもの、見ず知らずの人がたくさん来て、さまざまな方法で私に助けを差し伸べようとしたけれど、そのほとんどは断った。自分のものじゃないものは受け取らないのが、信条だ。確かに持ち物は少ないかもしれないけど、高潔さと品性だけは持ち合わせているつもりだ。

 私の番組を作った、TVブラバが、毎月の家賃として2000バーツ寄付すると言う。大家さんは、私が餌をあげている子猫が四匹いると知っていて、その分100バーツ返してくれることもある。それで家賃は1900バーツになる。電気代と水道代も入れてね。

 それでも自分の食い扶持はほとんど自分で稼いでいる。パッポンの売春地帯やゲイタウンのソイ・トゥワイライトで、ライターを売ってる。ライターは25バーツで、火を着けるとピカピカ光る。ライターを入れたかごをどこにでも持って行く。

 時々見廻りの警官に止められることもある。何するかって言えば、この年寄りの婆さんを食い物にする以外何もしやしない。身体を売ってる女の子や男の子が、テレビ番組で私のことを知ってて、となりに座らせてくれ、この弱った足を休ませてくれることもある。少し話したりもする。

 ライターを欲しいと100バーツ払い、釣り銭を受け取らない子もいる。ソイトゥワイライトにある、X-BOYSっていうバーで、週末にタイ伝統舞踊をして、ささいな収入もある。一回のショーで100から200バーツもらう。トゥクトゥク代と美容品代を引けば、そんなに手元に残らないけども、どうあれ舞台で演じるのは大好きなんだ。

(つづく)